★華麗なる芦毛の天皇賞馬メジロアサマNo.3 宇都宮登氏の依頼を受けて

★華麗なる芦毛の天皇賞馬メジロアサマNo.3 宇都宮登氏の依頼を受けて

宇都宮氏はそのころはすでに、中島氏のサラブレッドの血統、知識、理論を認めていました。
中島氏は昭和41年(1966年)の秋、宇都宮氏に依頼されて、島根県で林業を営む和田農林シンボリ牧場で良い馬を選んで来てくれと依頼されます。

宇都宮氏とシンボリ牧場のオーナー和田共弘氏の関係は、同じ島根県出で「共弘」と呼ぶ大先輩後輩の関係であった。

その依頼を受けて、中島氏は千葉のシンボリ牧場にいる和田氏に電話します。
そして、その旨を伝え、「種付け台帳とできる限りの詳しい血統書を用意しておいてください」と依頼します。

和田氏はのちにその電話の時の事を、中島氏に「そんな依頼は初めてで、どんなおもしろい奴が牧場に来場するのだろうと楽しみに待っていた」と言います。

中島氏は翌日、千葉のシンボリ牧場に行き、その資料から宇都宮氏の為に、鹿毛と芦毛の2頭の当歳馬を選び出しました。

中島氏は、和田氏に「写真はありませんか」と言います。すると、和田氏は2枚の白黒写真を差し出します。

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