「マスターの好きな馬は」 血統の鬼・中島国治氏は阿部調教師から『インターメゾの仔で良い子いないか』という依頼を受けます。 その依頼を受けた中島氏は、阿部調教師に黒鹿毛の牡馬を推薦します。 しかし、阿部調教師は大きな馬で好 …
血統
こんばんは 1975年5月18日 テスコガビーはオークスを制し桜花賞、オークスの2冠馬に輝きます。 このテスコガビーは、今でもホースマン、評論家から高い評価をされていると思います。 血統の鬼、中島国治氏にとってもテスコガ …
こんばんは 仲住調教師は、中島氏に絶対の信頼をおいていました。 テスコの仔でいい仔がいるよという連絡に即座に反応します。 テスコの仔、中島氏の推薦その2点だけでエージェントを通して言ったのか、自分が直接福岡牧場に言ったの …
1972年中島氏は、仲住芳雄調教師から「テスコ(テスコボーイ)の仔でいい馬いないか」と依頼をされます。 中島氏はその依頼を受けて調査します。 私にはスットクの馬と言っていました。 実際には、依頼を受けてから馬を探すのでは …
中島氏は、その後もシンボリ牧場の数々の名馬に関わっていくことになります。 シンボリルドルフ、シリウスシンボリ、サクラショウリもその時代の名馬達です。 和田氏とは、千葉のシンボリ牧場に来場の際は、応接室でたびたび二人で、サ …
この芦毛馬が、第62回、昭和45年(1970年)天皇賞・秋。池上騎手騎乗、管理厩舎保田調教師の天皇賞馬メジロアサマです。 メジロアサマは、昭和45年尾形藤吉調教師の愛弟子の保田騎手が調教師なる際に、保田隆芳厩舎に転厩して …
中島氏が翌週、同じ東京競馬場内の役員ルールに行くと、尾形調教師が機嫌よさそうな顔で近づいて来ました。 「芦毛決めたよ」 「中島君、翌日、朝一番で北野オーナーと千葉に行って来た。いい馬だ。あの芦毛走るよ」と言われた。 中島 …
中島氏は、週末その報告をする為、東京競馬場内の馬主の役員ルームに行きました。 宇都宮氏に「シンボリ牧場の当歳馬血統の良い2頭です。 芦毛の方が能力は上です」と言い2頭の写真を見せました。 すると宇都宮氏は、 困った顔をし …
宇都宮氏はそのころはすでに、中島氏のサラブレッドの血統、知識、理論を認めていました。 中島氏は昭和41年(1966年)の秋、宇都宮氏に依頼されて、島根県で林業を営む和田農林シンボリ牧場で良い馬を選んで来てくれと依頼されま …
中島氏は昭和38年(1963年)突然、高木良三調教師から「どの馬が良いと思う」と聞かれます。 中島氏は、当歳馬の血統書を見せて貰い「このヒンドスタン(1946年生まれ)の牝馬が良いと思います」と答えます。 この牝馬は、高 …
明治31年(1898年)生まれの著名人で結成された、三一会と言う会がありました。 中島国治氏が所属していた藤原歌劇団創始、藤原義江氏もその会のメンバーでした。 中島氏は「たしか昭和37か38年」帝国ホテルで行われていた、 …
出走馬の父系 サンデーサイレンス系 7頭 ノーザンダンサー系 6頭 グレーソヴリン系 2頭 ロベルト系 1頭 レッドゴッド系 1頭 ミスタープロスペクター系 1頭 以上18頭の父系に分類される。 2007年、3月、3日付 …
西洋式の競馬は横浜に慰留した外国人が行った競馬こそルーツであった。 幕末の文久元年(1861年)の春に横浜市中区相生町に増設されたストレッチ・コースで行われた。翌文久2年(1862年)には山下町(現在の中華街あたり)にト …
2007年の新春に2006年の種付けの全容が明らかにされた。2009年に2歳デビューする馬達の繁殖状況である。 種牡馬の総数292頭、ただし試情馬兼用馬も含まれている。交配された繁殖牝馬10,255頭(サラ系15頭を含む …
暖冬と言う異常なる気象であった。草木の芽吹きも通常より10日〜2週間も早く、春の到来といえる昨今である。 3月ともなれば春の2歳クラシックの有力な候補もみえてきた。 今年は第一グループとなっているHalo系(サンデーサイ …