1972年中島氏は、仲住芳雄調教師から「テスコ(テスコボーイ)の仔でいい馬いないか」と依頼をされます。
中島氏はその依頼を受けて調査します。
私にはスットクの馬と言っていました。
実際には、依頼を受けてから馬を探すのでは遅い為、生まれる前、種付けをした時から血統を調べ血統のいい馬の情報をノートに書いていた様です。
その馬達の事をストックの馬と言っていたのです。
そのストックの馬の中にいたテスコボーイの仔を仲住調教師に推薦したのです。
そして、仲住調教師は北海道へ。
千歳空港からいつものエージェントの車で静内の福岡牧場に向かったのです。